進学、就職、引越し。新生活にはきっと大きな喜びが待っている。
でも、もっと日常の中のささやかな始まりにだって、たくさんの小さな喜びが潜んでいる。
新しい靴に足を入れて玄関を出る一歩目はなんだか少し軽やかだ。
おろしたてのタオルで顔を拭くと、ちょっと若返った気がする。
初めて訪れる駅のホームに降り立つと、経験値が1ポイント上昇した気分になる。
ところが経験を重ねていくにつれて、そんな新しいことに対する感度はどんどんと薄れていき見過ごすようになり、何かを新たに始めることに対して腰が重くなっていってしまっている。
服も靴も、既に何枚も持っている気がする、似たようなモノばかり買ってしまう。
何を観ようか迷った挙句、結局過去に観たことのある映画を気がついたらいつも選んでいる。
いつしか駅に降り立っても、顔を上げずに出口への最短経路を探すようになっている。
そして、始めること以上に、続けることはもっと難しい。
あんなに選んで買った靴も、気が付けば踵を潰して履くようになっている。
せっかく観始めた映画を、ちょっと思っていたのと違ったかもと一時停止して結局観るのをやめてしまう。
日記を書き忘れる日が徐々に増え、その空欄になった日付をみるのが嫌で開かなくなる。
そんなハードルを超えて、それら些細な始まりが「習慣」にまで昇華されると、そこに新たな始まりのきっかけがあり、そこからさらに変化が拡がっていくと私は思う。みなさんはそんな経験、最近しましたか?
私の場合、それは「ランニング」だった。
始めたきっかけは些細なことだ。一人の時間を欲していた中で、家族に後ろめたくない理由を探した結果、健康維持という名目で走り出しただけ。そんな邪な理由で気まぐれに走っていただけだったのが、学生時代以来ぶりに感じた筋肉痛に妙に達成感を得て、月に数回だったのが次第に週に数回になり、数キロが数十キロになっていった。するとどうだろう、それに付随していろいろな変化が身の回りに起こり出した。
走る道、時間帯、新たな視点で街を捉え直すようになる。走るのに気持ち良い空間がそこにあるかどうかが評価軸となって、旅先や出張先の宿をその視点で選ぶようになる。
生活リズムが変化する。走る時間を確保するため、日常の無駄な時間を極力省きたくなり、よりメリハリのある効率的な生活をするようになる。
聴く音楽も変化する。走る時のBPMに合わせた選曲と、それ以外の日常の選曲になる。新しい音楽も聴きはじめる。
おまけに美容への意識も高まる。紫外線を気にして日焼け止めを使い出し、洗顔にも気を遣うようになる。ジェルやワックスを使うと走る時に汗で溶け出して不快になるので、オイルやバームを使うようになる。
(どうしても手前味噌に聞こえてしまうだろうが、本当のはなし)
走るだけでこんな多方面の日常が変化するなんて、全く想定していなかった。
4月、始まりの季節。何か新しいことを始めるにはピッタリのタイミングだ。
みなさんも、ほんのささやかなことで構わないので何か一つ始めてみてはいかがだろうか。
もしかするとその始まりの先に、Vintryのある日常が待っているかもしれない。
p.s.みんなも走ったら良いと思う。
Writer : Makoto Kobayashi